
約500年にわたる琉球王国の歴史は、「薩摩の侵略」と「廃藩置県(琉球処分)」という2段階を経て、幕が閉じられます。
薩摩の侵略は、尚寧王が王位についてまだ間もない1609年のことでした。表向きの理由は琉球が無礼を働いたということでしたが、本音は対明貿易の利益が狙いだったようです。
約3000の兵と100隻余の軍船が琉球にさしむけられると、幾多の戦乱を経験してきた薩摩軍を前に王府軍はなすすべもなく、尚寧王は開城して和議を申し入れました。
それからの2年間、尚寧王は薩摩・駿府・江戸に抑留され、帰国が許された時 には、琉球はそれまで180年続いた独立国家ではなく、すっかり薩摩の管理下に置かれていました。
薩摩は「掟15条」などを定めて琉球の政治・経済をおさえ、その冒頭で「薩摩の許可なしに唐へ進貢物を送ってはならない」として、琉球の外交権を奪っ
て進貢貿易を管理することを宣言しています。
但し、明国との貿易の都合上、侵略征服後も形式的には「琉球王国」を残していました。そのため、首里城が王城であることに変わりはなく、むしろ薩摩藩のために南殿や番所を建てるなど、整備を進めた面もあります。
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