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沖縄戦で首里城を失ったことは、沖縄の人々にいいようのない喪失感をもたらしました。戦前23もの国宝があり、沖縄の文化の象徴だった首里城の再建は、県民の悲願。
「首里城の復元なくして沖縄の戦後は終わらない」と語られ、その実現には多くの人々の尽力と長い年月を要しました。首里城及び周辺の復元工事は、昭和に始まり、平成にまたがって今なお作業が進めら
れています。
最初に復元されたのが1958年(昭和33年)の守礼門で、続いて円覚寺総門、弁財天堂、天女橋などの復元・修理工事が次々と竣工しました。首里城の中心的施設である正殿を始めとする城郭内側の区域の復元の契機となったのは、1967年〜1982年にかけて実施された琉球大学の移転計画です。そのさまざまな跡地利用計画が検討され、次第に首里城一帯を公園とする案に絞られていきます。
それを受けて、1982年の第二次沖縄振興開発計画に「首里城一帯の歴史的風土を生かしつつ、公園としてふさわしい区域についてその整備を検討する」ことが盛り込まれ、さらに1984年には沖縄県によって「首里城公園基本計画」が策定され、翌年の政府予算案に首里城正殿など基礎調査費が計上されました。こうして中心的建物・正殿復元の道が拓けることで、首里城の再建は実現へ向けて大きく前進しました。 |