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琉球風水について

【琉球風水の時期・歴史的に見る沖縄と風水の関係】

 風水とは、地形や方位から龍脈(りゅうみゃく)と呼ばれる大地をめぐる気の流れを読みとり、気が集まってくる龍穴(りゅうけつ)と呼ばれる場所に王都や墓、住宅な どを建設することにより、健やかで豊かな生活を得ようとする考え方です。

風水が沖縄にいつ、誰によってもたらされたのかはよくわかっていません。風水の伝来については次の4つの説があります。

1)14世紀後半察度王の時代、〓(びん)人36姓とその子孫により風水が伝えら れたという説。
2)冊封使をはじめ琉球を訪れた中国人によって風水知識がもたらされたという説。
3)15世紀半ばに日本の僧侶達によって、日本の風水といえる陰陽道(おんみょうど う)の知識がもたらされたという説。
4)康煕6年(1667)に、中国に通訳として派遣されていた周国俊(しゅうこくしゅん)が福州で風水を学んで帰国し、彼が風水師の始まりであるという説。

これらの説から、沖縄には風水が一度に伝わったのではなく、中国や日本から何世紀 にもわたって少しずつ伝来したと考えられます。

特に1667年から1868年までの約200年間は、琉球王府は国策として久米村の子弟を福 州に派遣して風水を学んで帰らせ、国作りに役立てました。

※1:〓(びん)人36姓
 〓(びん)人とは、福州にある〓の河口付近に住む人たちのことで、特に航海術に優れていた。36姓とは、多くの技術を持った人たちのことを意味し、実際の数ではない。
※2:陰陽道
 中国の陰陽五行説に基づき、平安時代に朝廷をはじめとして庶民の間にも広く浸透していた考え方。陰陽寮という役所では、方角や日の吉凶を占ったり、祓いや祈祷を行ない、天文や暦を研究していた。陰陽道はやがて神道や仏教にも浸透していった。

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