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(内閣府 沖縄総合事務局 国営沖縄記念公園事務所 所長)
首里城の復元には、国の事業として建設省から派遣され、1988年8月〜1991年3月まで 沖縄総合事務局公園調整官として首里出張所に着任する形で関わりました。設計から施工まで全てを統括する立場でしたが、いろいろな意味で私の人生観を変える、意義のある仕事だったと思います。
これだけ大規模な木造建築の復元は国も初めてでしたし、首里城の資料もほとんどが 沖縄戦で焼失していたため、全くのゼロからのスタートでした。予算の確保、必要な
組織の要求と確保、土地の確保(琉大との土地購入交渉、琉大の移転、その準備等)、発掘調査、材料の調達、一番苦労した時代考証、法的手続き、施工など、挙げればきりがないくらい困難と苦労の連続でした。この事業に関わった方は皆さんそうだと思いますが、通常の仕事以上のもの感じて取り組んでおられたと思います。
完成した時は「ああ、やっとできたか」という安堵と「よくできたなあ」という感慨深いものが交錯しました。正殿起工式の日の朝、車椅子に乗られたおばあさんが目頭を押さえながら見ていた光景を、今でもよく覚えています。
今では沖縄を代表する観光地、沖縄のシンボルとなっていますが、まだまだ十分活用しきれていないと思います。首里城での人の営みがわかるような使い方、つまりソフトを充実させたいですね。毎月の様に行われていた祭事の復活、他のグスクとの連係、まだまだやることはいっぱいあります。結局はハードではなく人がすることなので、人の育成と連携を大事にしていきたいですね。
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