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中城城跡は、太平洋に面した中城湾を見下ろすことのできる標高150メートル程の琉球石灰岩の台地上にあります。
中城城跡は、六連郭の構造になっており、西側に正門、東側に裏門を構えています。正門からグスク内に入ると、最初の細長い曲輪(くるわ/西の曲輪)が広がっています。その昔、兵馬の訓練に使われた場所だといいます。この西の郭の左手に、下りて行くと井戸があります。井戸の反対側、右手の石門をくぐると樹木が生い茂る遥拝所に行き当たります。かつて、首里や久高島(くだかじま)を遥拝したり、雨乞いをした御嶽の跡です。この聖域を含む一帯が南の曲輪とされています。南の曲輪の城壁には、いざ、城が戦場となった場合に備えて、狭間(やはざま)が作られていました。
南の曲輪を奥へ進むと、順次、一の曲輪、二の曲輪、そして三の曲輪、北の曲輪へと至ります。先ず、南の曲輪の小広場のアーチ門から、一の曲輪へ入ると、この曲輪は中城城跡全体で最も高い位置にあり、かつ、最も広い曲輪になっています。かつての歴代の按司(あじ)たちの主殿は、この曲輪に設けられていたはずです。
一の曲輪から二の曲輪へ、アーチ門をくぐります。ところが、隣り合う三の曲輪への門は存在しません。三の曲輪へ入るには、一度、北の曲輪へ出て、そこにある石段を通らなければならない構造になっています。この三の曲輪を囲う城壁は、中城城跡の他の城壁をつくっている石の積み方と異なっているのが大きな特徴です。他の石積みが布積み(ぬのづみ)であるのに対し、三の曲輪は相方積み(あいかたづみ)になっているのです。これは、他の曲輪と築造年代に隔たりがあることを推測させます。そこで、座喜味城から移ってきた護佐丸が増築したという有力な説が生まれました。護佐丸が築いたとされる座喜味城の城壁の石積みと同じ方法が用いられているのも、その裏づけになっているようです。
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