斎場御嶽は、知念村
※久手堅(ちねんそんくでけん)にあり、通称「せーふぁうたき」と呼ばれています。御嶽に分け入っていく参道を進み始めると、最初の拝所になる「ウローカー」につづく道と左手に折れる道が交差します。左手に進めば、御嶽の入り口にあたる御門口(うじょうぐち)になります。かつては一般庶民、とりわけ男子は、御門口より先には入れませんでした。また、元来、御嶽へ通じる入り口はウローカーの側にあったといわれます。
御門口から先へ、石畳道を進んでいくと、大庫理(うふぐーい)と称される場所に出ます。切石に囲まれた御庭(うなー)になっており、岩陰には拝所があります。この広場こそ、その昔、聞得大君(きこえおおぎみ)の御新下り(おあらおり)の儀式が行われた場所でした。また、大庫理の名称は、首里城正殿の二階、王府の行事がとり行われた広場と同じです。方形状の石敷には、儀式当日になると仮小屋が建てられ、岩陰の一段高くなった場所には聞得大君が神様と枕を共にする臨時の寝室がつくられました。
大庫理をさらに奥へ進むと、道が左右に分かれます。左手に回るように進んだ先にあるのが、寄満(ゆいんち)と呼ばれる拝所です。寄満とは、台所を意味する言葉で、大庫理同様、首里城正殿に連なる一角に、国王及びその親族の日々の食事を準備する場所があり、寄満と呼ばれていました。しかし、斎場御嶽の寄満が台所として機能していた伝承は確認されていないといいます。基壇に通じる石畳道の向こうには、大きな岩がそびえており、拝所の奥には鍾乳石が垂れ下がっています。
寄満から、元の道を戻り、最初の分かれ道のもう片方の道をたどると、二本の鍾乳石が垂れ下がっているのが目に入ります。手前の鍾乳石がアマダユル・アシカヌビー、向こう側の鍾乳石がシキヨダユル・アマガヌビーと名がついています。これらは、それぞれが天から落ちる霊水を意味する言葉で、鍾乳石の下には、したたり落ちる水を受ける壷が置かれ、この水は、聞得大君の御水撫で(うびなでぃ)の儀式に使われました。壷にたまる水の量で、その年の豊凶を占ったといいます。
二本の鍾乳石の脇には、休憩に使われた座敷壇があります。座敷壇はさらに、大きな岩がつくりあげる洞門に導かれるようにつづいています。逆V字形をなしている洞門をくぐっていく先が、三庫理(さんぐーい)と呼ばれる拝所です。わずかに3メートル四方ほどの空間で、洞門をくぐって右手が「チョウノハナ」と称され、岩の壁を通して天を拝んだ所です。左手は、久高島(くだかじま)を望むことができる遥拝所になっています。
※平成18年1月、市町村合併により「南城市」