1609年琉球は薩摩の支配下になり貢納布が義務付けられたため、宮古、八重山、久米島には王府から御絵図と呼ばれる図案が送られ忠実に織られた。 絣は、柄の大きさ、色で身分の差を区別し、多彩な色彩や柄は士族以上しか着用を許されず、一般庶民はおもに紺絣を着用していた。
絣括(かすりくくり)には、琉球独特の手括りがある。また、絵図を基に墨付けして種糸を作る絵図法、摺り込みと織り締めがある。南風原の絣は、図案を基に絵図法を用いて製造されている。琉球絣は御絵図を元に展開させ工程も分業化し生産されている。
染料にはおもに琉球藍、福木、スオウ等が用いられる。