img
img img img img img img
img title button img top img
img img img img img img
img button img button
img
title
三間四方より、やや小さな舞台の後方にある一段と高い所に地方の席があります。そこから舞台の進行を見ながら演奏します。
多良間島では塩川と仲筋の二つの字で、このような奉納祭りがあり、その中で組踊が上演されています。演目は、それぞれの字で二番、都合四番が上演されます。仲筋では「忠臣仲宗根豊見親(ちゅうしんなかそねとぅいみゃー)」と「忠孝婦人村原組(ちゅうこうふじんむらばるぐみ)」。塩川では「忠臣身替(ちゅうしんみがわり)」、「多田名組(ただなぐみ)」が上演されます。
多良間島の八月踊りに残されたこれらの組踊は、かつて首里城で執り行われた御冠船踊と同様、様々な出し物の一つとして組まれ、明治20年代に始まったと言われています。
祭り全体の組み立ては正しく、朝薫が考えた御冠船踊の全容を映すかのようです。これら首里や那覇から伝わったと言われる組踊が古来の祭事にすんなりと溶け込んでいったことは、組踊がかつて、このような祭りから創案されたことの証しでもあるのでしょう。
明治維新後は、村々の豊年祭や節祭(ふしまつり)、結願祭(きつがんさい)など収穫を祝い五穀豊穣を願う、これらの祭事と結びつき、村踊りの一つとして組踊が取り入れられました。それは、母体であった村踊りの場へ組踊が再び帰り、その命の火を灯しつづけたといえるのでしょう。素朴ながらも原形を留めたこれらの組踊には、多くを学ぶものがあるといえます。
photo
title
icon ナローバンド
ブロードバンド
icon ナローバンド
ブロードバンド
img
| 多良間島に残る組踊 | 戦後の官営劇場 |
| 戻る | TOPへ |
img
img
img
このサイトはInternet Explorer5.0,Netscape Navigator6.0以上でご覧下さい。
Copyright(c) 2003 Okinawa Prefectural Gavernment. All right reserved.